教員免許更新制度廃止

 教員の「十年免許更新制度」が廃止されるらしい。
 何度となく書いてきたことだけど、おそらくこれを最初に提案したのは私だと思う。そしてたぶん誰もそれを認めないだろうが、それでも私だと思う。
 名前をさらして提案したのではなく、それは匿名であった。
 かつてはYahoo‼に匿名掲示板があった。それは確か2000年頃。一時期黎明期の2ちゃんねると並んで匿名掲示板としてにぎわったが、匿名であるがゆえに手を焼いたのか、廃止された。インターネットの接続はやっとISDNからADSLへ移行し始めた頃だったかと思う。
 自分で勝手に項目を作ることができたので、教育のカテゴリーにそのまま「教員免許十年更新制度」というタイトルで作った。
 その理由。
 私が最初に勤めたのは私学の高校だった。非常勤講師で、非常勤でさえ職があれば「どうやってみつけたの?」と言われるほど、教員も就職氷河期だった。その時着任した私学は最底辺の学校だったが私に与えられた授業時間は当時一週間で17時間、種類6色(7色?)、一度も繰り返しがない、と書けば、同業者なら目をむいて驚く、とんでもない時間割だというのがわかるのだが、うち二つは単独コース3年3組の古典と現代文で、一緒に組む先生がいない。「非常勤に」「同じクラスの古典と現代文を」一人でもたせる。何かあった時は誰もフォローする人がいない。それを教育実習以来初めて学校の先生をやる人に振ってくる教諭たちときけば、なんとなくレベルの程をうかがい知ることができるのではないかと思う。
 つまりは教諭が持ちたくない3年3組をもってもらい、楽をするための非常勤講師なわけだが、その先生たちの中身をうかがうと、まず考査問題が自分で作れない。他の先生に教えてもらいながら作っている。普通にベテランという年齢。次に指導書を見ながら授業をしている。そして、教科書。偏差値30台で進学校の教科書を持たせている(古典は源氏物語大鏡だけが入った購読用のテキストだった。わけがわからない。)。関関同立は特進で二人しか受からないのに、なぜか国公立用の問題集を使っている。当然生徒は問題を解いても3割もできない。
 アホ?
 ということを、まだ顔色をうかがうなどということを知らなかった私は正直に言ってクビを切られたのだが、クビを切られてよかった、切られなきゃズルズルとその変な学校で続けてたでしょうと友達にまで同情されたという、そういう教員たちであった。
 つまり私が教員免許更新制度を、と提案したのは、教師自体に基礎学力や判断力が欠けていて、それをはかるためのチェック機能を、ということで提案したのだった。
 ただちょうど同じ頃、公立学校において教員の学力問題というのが世間でも話題になっており、数学の先生なのに分数が解けないとか、高校の入試問題が解けないとかが問題にはなっていた。なぜそんなに学力が低かったかというと、原因は「教師にでもなろうか」「教師にしかなれない」という、いわゆる「でもしか教師」が大量に採用され、学力のない教師が教師陣の中に多く混じっていたからだった。今のおおよそ60才から上の世代である。私学でも教員が足りず、4月になっても組まれた時間割にまだ先生がみつからなくて、担当教員がAとかBとか記号表記だった時代でもあった。
 
 しかし問題になってからは、当時教育委員会がそれなりに教師たちをチェックし、教員から事務への配置替えだのの策を講じ、更新制度が文部省から出された時は、必要ないとの声も上がっていた。そしてそういう力のない教員をチェックする制度かと思ったら、開けてびっくり、ただお金を3万円自腹でだして知っていることをきく意味のない講習を受けるだけのものだった。
 講習をする先生によっては前置きに「先生方の方がお詳しいかと思いますが」と前置きをすることさえあった。一体何のために受ける講習なのだろうと思いながら受けている人多数で、「教師の学力のチェック機能」という側面は皆無だった。多くの教師たちの時間と金の無駄でしかなかった。
 それどころか大量採用世代が去ったあと、入れ替えにまた大量に若手を採用し、大阪では倍率が2倍を切る状況で、筆記試験3割とか4割とかいう先生が、面接点優位の中で大量に採用された。結果、小学校高学年の勉強ができる生徒に対応できないとか、古典文法に自信がない先生とか、教えられないとか、上位校の入試問題が解けなかったり指導が出来なかったりする先生がいて、底辺校以外にまで配置されているという状況になっている。かつての学力不足教員を生んだ時の教訓は何も受け継がれなかった。塾とは違い、学校は基礎の学習を重点的にする。ところがこれでは基礎ができていない上に何かを積もうとするようなもので、学力低下は当然の結果といえる。
 ただし2倍を切っているのは若手だけで、経費の問題からかゼロ採用世代、いわゆる教員の就職氷河期世代からは積極的に採用せず20倍を超す難関になっていた。しかも採用しても部活や生徒指導重視で、それなりに授業力や生徒対応スキルを磨いて生き残ってきた他の人たちは若手の学力不足に正規の座を譲り、今も非正規に甘んじることになっている。私の知る限りでは、現役で生き残っている教師経験者は全員無試験で採用してもいいぐらい優秀な人ばかりなのに。

 その先生たちも多く廃業したり私学に行く先生が増え、現状大阪府では非常勤講師がみつからず、再任用が終わった退職教員に頼る状況である。ただしそれは免許が切れただけでなく、安いせいもある。スーパーやコンビニその他時給1000円の所を6時間働くのと、要資格なのに授業に週15時間入るのと同じ額だし、学校の夏の暑さ冬の寒さは厳しく、さらに広い教室で大きな声を出して体力を使うことは教育実習に行った人なら誰も知っているので、そんな安い非常勤なら学校以外の職につき、教員免許も更新しなくていいわって話になる。
 ブラックという噂が浸透しているので、余計に誰も教員になりたがらない。
 だから、廃止になるのかは甚だわからないけれど、廃止をしても講師のなり手の少なさには手を焼くような気がする。現役教員たちの「無駄な時間」が減るのは歓迎すべきところではあるけれど。(理由はこっちかな…)

 私が受けた更新講習で一つだけ新しく学んだといえばメディアリテラシーに関する講義で、美川憲一の「ヨイトマケの唄」に関し、長い間放送されることを避けられていて、ところが避けられていた理由を問うと誰も知らないので、数年前の紅白で歌うことになった、という話。あのテレビという業界は3年もすると異動になり、次の人に申し渡しをして異動するものの、細かいところなんか伝達せずに申し渡しするので、なんでそれがダメになったかとか消されたかとかわからないまま次々に引き継がれていくケースが結構あるのだとか。「ヨイトマケの唄」もそれの一つだったらしいのだが、それじゃブラック校則と同じで、当時の事情と変わってしまったり、担当者がちょっと変わり者だったりおバカだったりすると、不要なものが残ったり必要なものが消されたままになったりするんじゃないの、なんて思ったものだった。
 ダメなことを続けてしまっているために、テレビがつまらなくなったんじゃないの、と思わないでもない。
 ちなみにこの話がその後授業で役に立ったことは一度もない。