木を見て森を見ないツケツケ法師

 安倍氏のいなくなった自民党に、あまり加勢する気にはなれない。第一この問題は別に自民党に限ったわけではない。もしかしたら政府に限った問題でもないかもしれず、日本全体に言えることかもしれない。

 

 母親が昨今のCMを見ていて一言言った。
「なんで洗剤のコマーシャルは男ばっかり出てくるんや。」
いや、きっと洗濯は男の役目なんですよ、とは言わなかった。ひょっとしたら男の役目なのかもしれない。最近はそれに違反して、女性がやっているのかもしれない。
 違う。
「そういう団体から『家事は女の仕事なのか』と抗議が入るから、それに配慮しているだけやと思う」と答えた。

「まーくだらない。」
 最近では部活に舞台を置いてみたり、撮影現場に舞台を置いてみたりと工夫されているが、あまりにも洗濯洗剤や食器洗剤のCMに男性が多く起用されているのが目につく。抗議されていちいち言い争うのも面倒なのでそうしているのだろうが、はっきりいって実が伴っていない。実が伴っていないのにCMだけ変えりゃいいってものでもないだろう。
 逆にこう聞いてみたくなる。
「女子は洗濯したらいかんの?」

 実は私も数年前に、元校長がブログをやっていて、あるスポーツ選手の名前を間違えていたので、ブログで注意さしあげた。「世知辛い世の中ですから、いつ炎上するとも限りませんし。」

 日本という国は、いつからこんな息苦しく自由のきかない国になったのか。
 うるさい一団体の抗議の細かいことにツケツケいうのに耳を傾けている。しかしそれは全体の意見なのだろうか。
 この小さな小さな市井の例と一緒にしてはいけない、と言われるかもしれないが、市井の基準で政治をはかっている現状はいかがかと思われるのも事実である。
 数年後にこれを読む人のために一応復習すると、2022年7月8日、白昼、参議院選挙の応援演説のさなかに安部晋三元首相が自作の銃を持った男に背後から撃たれて死亡した。男は男の母親が統一教会という教団に過去1億もの寄付をしたために、人生を狂わせられたとして教団に恨みを持ち、その関連団体にビデオメッセージを送っていた安倍晋三氏が教団と関係していると思い、安倍氏を狙ったと供述している。これを書いている現在は精神鑑定の途中で、これが本当の狙撃理由かは、その結果をまたねばならない。
 統一教会とは多額の寄付を要求するカルト団体と言われていた。時価数万円の壺を数百万円で買わせたり、自宅を売ってまで金を寄付させたり(したり?)する、という行為を行っていた。件の狙撃犯も、それで母親が教団に寄付をしたために父親亡きあとの兄弟が悲惨な状況におちいったという。それは20年ほど前のことであり、現在はそういった寄付などが行われているのかは、私は知らない。名称を変更して云々の話が出ていたが、行われていなければ名称変更も認められたのかもしれない。
 大方その寄付に際し、みなが口をそろえていうのが、「こんな壺何百万もするわけないじゃない」というのだが、原価の話をすれば陶器などというものはどれも数百円数千円でできる。これはブランドものの衣服も同じことで、付帯価値が伴って価格はぐんぐんあがっていく。おそらく名工やブランドの価値がわからない国や部族にもっていって、「この陶器1千万するんだよ」「この服百万円だよ」とか言われたら、「はあ?」と目をむく、それが付帯価値というものである。故に、「この壺は教会にとっては〇百万です」といえば、それは通らない理屈ではない。詐欺でもない。付帯価値というのはそういうものである。
 問題は名工やブランドの品にはそれ相応の相場というものがあるが、宗教に関する相場として、それが「妥当か」ということで、当然ながら妥当ではないかとも思われる。一般的な宗教のものとしては高すぎるきらいはある。ただそれに金を出すかは、個人の自由だ。
 おそらく世界中にあるそうした理屈を巧みに利用しながら、教団に金を集めたのであろう。と、考えて行くと、問題の所在は果たしてこの付帯価値や寄付にあるのかという疑問はあるが、ほかの機会に譲ることにする。

 

 さて、これを書いている今何が問題にされているかというに、政治家とその教団との関係が問題にされている。これものちに読む人のために書いておこう。知らないあなたはドキドキしながら読んでほしい。
 政治家が公金を使って大量に寄付をしていたのか。
 参議院選挙に立候補し、その教団の信徒であることを隠して参議院議員になっていたのか。
 実は安倍晋三銃撃の裏には教団がいて、教団が指示したことなのか。
 選挙戦の時に教団信徒を教団から雇うように言われて雇い、賃金を支払ったのか。
 教団の信徒に金を払い、一票を金で買ったのか。
 読んでいておわかりだろうが、上記はすべて法律に抵触する。二番目を問題にすると、信教の自由について問題となりかねない。たとえ選挙で同じ教団員が応援していたとしても、たとえば私なんぞは自分の家が檀家になっている寺があって、そこに立候補するなんて話をしたら、おそらくご住職は「うちの檀家さんから立候補されるそうです」なんて話をして、みんなが「じゃああの人にいれよう」なんて話になったのとどう違うのかと聞かれたのと同じじゃなかろうか。あなたはどう違うと言うかという話になる。(違いを説明せよ)
 しかし今世間で問題になっているのはそうではない。世間で問題になっているのはこうである。
 じゃじゃーん。
1 数百人いる選挙ボランティアのうちの数人が教団員だった。(えーっ)

2 教団の関連団体の主催する会に出て挨拶した。(えーっ)

3 …あとなんだっけ?
法律に違反しているんですか?
違反してたっけ?
道義的責任に問われるんですか?
問われるんかなあ?

 (やばい、書いててだんだん馬鹿らしくなってきた。)

 まあ何らかの団体の会で壇上にあがって何かいうとか、いったいその議員にとっていくつあるうちのそれなのかが全然わからないので、…でもたとえたった一つであろうとも、思想信条の自由とか信教の自由とかは憲法で保障されているよね。大方与党をせめる憲法信者ならむしろ詳しいと思うけど。彼にとってお世話になった人に頼まれたりしたら断われないだろうし。票や指示にかかわるのなら、どこへでも出かけていくだろう。それも日常の大量にある活動の中の一つではないかと思う。
 たぶん問題は、過去に多額の寄付をさせた団体であることだと思われるが、その問題は政治家が壇上に立ってしゃべるのをやめることで解消されるのだろうか。「寄付を多額にしてしまった人の被害者としての家族」心情としては、「味方しないで」と不快には思うだろう。私なぞも大阪府の教育を荒らしまくったと思われる橋下徹が出ている番組は腹が立って絶対見ない。SNSで声をあげて書いたところでテレビ局は無視して出し続けるので、じゃあ取り上げてもらうには橋下を起用するプロデューサーを殺すしかないかな、プロデューサーでは世間にインパクトがないので、ほかの出演者を殺すべきかな、とかいう極論になる。
 つまり、世の中は個人にとってこういう憎たらしい人やことであふれている。
 しつこく教団と政治家との関連を報道し続けるテレビ局員にも、そういうのあるんじゃないの?
 
 話を戻そう。
 一部の関連をツケツケと上げ連ね、国の一大事のように言っているのを見て思うことは、日本という国は、本当に息苦しい国になってしまったなということ。
 ただ政治に関して非常な危機感を私が抱いたのは、それに関連しているだけで鬼の首をとったように騒ぎだすこと。教団信徒に下心はあったかもしれぬ。そりゃあるだろう。なぜ与党の議員にそれが集中するのか、政府に近い党の議員にそれが集中するのかといえば、もし、ただの知り合いとか誘われただけとかいうのでないのならば、やはり下心があったからだろう。大方ボランティアが集まるのは、そういう気持ちが反映されるからだ。「この人を手伝うことで自分の意見を国政に反映してほしい」「何か困ったときにその力で助けてほしい」その人たちと教団信徒の思いにどれだけの差があるか、私にはわからないけれども、選挙ボランティアというものはそういうものだ。無心でありえるはずがない。
 そこに人が集まるのは、その人が権力に近いからだ。
 そこに人が集まるのは、その人にそれだけの能力があるからだ。
 おそらくどちらかだと思う。
 今の報道は、それが法や道義的にどれほど問題なのか疑問が残る中で、ただ「関連した」情報と映像だけを流して、さも大事件のように取り上げるイメージ戦略を行っているが、政治家というのはそれだけでできているのだろうか? それだけが仕事なのだろうか?
 むしろそうした「関連」で政治家をつぶしていくことで、力のある人たちを引きずり下ろし、力のない人たちを上にあげることになるのではないか。そうすることで何がしたいのだろう。
 日本という国をダメにしたいのか。

 後にこれを読む人たちは参考にしてほしい。これは連日朝から夕方まで昼時間帯のテレビのワイドショーで取り上げられた。結果岸田内閣の世論調査での支持率は20ポイント近く下落してしまった。日本にはまともな政治家がいないとまでネットで書かれている。たぶん私の考えでは、視聴率がとれるからやっているのだろう。夏休みでコロナ禍で出かけられないとすれば、みんなテレビ見るよ。それが視聴率の裏かもしれない。どちらにせよ奴らはたぶん日本という国がどうなろうとどうだっていいんだ。メルヘンチックに考えれば、裏から日本をつぶそうとしているどっかの国が暗躍しているとも考えられるが、まあそれはメルヘンだよね。
 亡国のメディアだ。
 ネットでは「駄目ディア」とか「マスゴミ」とか「カスゴミ」とか言われて久しいが、それをインターネットの市井の声で修正できないのも、またネットから出てきた連中がテレビ側についてもの申す情けない状況なのも、事実だ。
 またその垂れ流される情報を信じて疑いもせず、「岸田内閣はダメだ」「与党はダメだ」「元統一教会に関連したからダメだ」とか、それですべてを評価する。垂れ流しに踊らされるのは戦前の日本と同じ状況じゃないか。この分だと「さあ、武器を作れ! そして武器をとれ! 戦に行こう!」とテレビ新聞ネットからイメージ戦略で「理由」を垂れ流され、誘いかけられたら、戦争が起こる日も遠からず来るだろう。
 日本とは戦前から、今も、そういう国だ。
 昭和天皇禄では、昭和天皇は開戦へと突き進む世論に抗することができなかったと述べている。歴史家の意見も大方それに賛同しているらしい。
 東京日日新聞(現毎日新聞)と朝日新聞にあおられて開戦へと突き進んだ。
 本当に、全然、反省できていない。もっとよく考えてほしい。